最近、デトックスの一環で誰にも見せる予定のない日記や思いつきを淡々と書いている。あとで読み返す気力も失せる書き殴ったぐちゃぐちゃの文字。思考と伴走できているような(気がする)筆の速さだけが取り柄の私のこの手書き文字、しかしたまに誰かに読んで欲しい文ができる。こういった一節は、これまた無愛想な下線を引いて発見しやすくすると決めている。
先日1003という神戸の本屋さんで、「みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに」という本に出会った。そうか日記を書いてそれを丁寧に活字に起こして編集・デザインして、製本して売ってるのかこの人は。と妙に気になって購入した。キンコーズが論文に勧めてくる上質紙製本。その表紙に一色ずりタイポグラフィのみの装丁、この潔さも好きだった。その本に、「安全な場所で、納得のいくルールで」日記を残すという筆者の考えがあった。SNSを日記使いしている一人の私だが、どことなく感じていた保存性の危うさについて言及があった。手に取れるプロダクトでなくてもいいけれど、詰まるところ表現者には自身が持つメディアは必要なのである。書くも書かぬも読み返すもせぬも自由。けれど書く場所読み返すコンテンツが消えたら選ぶことすらできないじゃないかそんなのごめんだぜ。そう思ったのでとりあえずは自身のイラストのポートフォリオのサイトに、下線がついたしがない日記の抜粋を記録してみようと思った。
その初めての投稿がこの日記である。