本気で遊んだ日。

私も夫もピアノを弾けないが、家にピアノがある。鍵盤を押せば音が鳴るので、娘は気が向いたら鳴らしている。何か馴染みのメロディラインでも弾けるようにと思いついて、気まぐれで教えることにした。曲は私が作ったオリジナルソングだ。(私が流暢に弾けるのはそれくらいだったから)

教えていく中で、今はどこを弾いているの?と聞かれた。

こちらもゆっくり歌いながら弾いているのでわからなくなる。説明もつけられない。そこで私と娘がわかる、記録をつけながら、取り組むことにした。楽譜の始まりを追体験している密かな感動があった。

まず、リズムを教えた。これは、一緒に手を叩く。たんとたたを覚えれば済むし、メロディラインは頭に入っているから、あとは歌詞を乗せるだけ。リズムの下に、ひらがなで文字を書き入れていった。その下に、鍵盤の音を示す、ドイツ音名を入れた。(鍵盤には、ドイツ音名のシートが貼ってあるから参照できる)

イメージする鳴らせたい音、鍵盤を押して実際なる音、歌詞、メロディ、リズム。

これらを同時にこなすって、大人でもとっても難しい。

でもできるようになりたいから、

「今どこだろう」「今ここなんだ」と

共通の見えるものをたどりながら

二人で、ピアノに向かっている。

誰かに音楽を伝えたい人、その音楽を再現したい人がいる。

その思いをエネルギーに楽譜を発明した人と、時空を超えた喜びの共有ができた気がした。

こういうのを本気で遊ぶ、本気で楽しい瞬間なんだな。

何回かつまづいた娘は、飽きてしまってもういいやおしまい、と椅子を降りて別の遊びを始めた。

夢中になれる対象がすぐ見つけられて羨ましい。

子どもに何かを教える時には、とてもよく考える。

向き合う時間は、お互いの時間を良かったと思って接したいのは誰に対しても思っている。

大人の私は伝わる伝え方を、一瞬一瞬考えて、アップデートして

それで編み出した方法には教わることが本当にたくさんあって

娘は持ち前の素直さを潤滑油に、できなかったことがスルスルとできるようになっていく

そこに立ち会える体験の共有は

一緒に本気で遊んでいるな、楽しいなと感じている。

日常の中の、ほんの気まぐれに、けれどお互いが一生懸命だった時間。

興味があることを通して交流し合える喜びはこの上ないね。